発表論文:Ueda, Matsunaga, Deguchi, Integrative Biology, 2024
細胞内の力を支える構造物の形成と解体において「非対称な応答」が現れるメカニズムを解明
研究成果のポイント:
- 複雑な生命現象の一端を物理的に解明:細胞内で物理的な力を支える構造物の形成と解体において非対称な応答が現れるメカニズムを説明
- 細胞内パーコレーション理論:パーコレーション理論を用いて,細胞内アクチンフィラメント(ミクロ構造)の相互作用がどのようにしてストレスファイバー(マクロ構造)を形成するかを解明
- 細胞応答の非対称性メカニズムの解明:ストレスファイバー(マクロ構造)の形成は既存のアクチンメッシュワーク(ミクロ構造)の量に依存する一方,解体はアクチンメッシュワークの有無に関係なく発生する非対称性の発見
- 細胞の柔軟な適応能力の基盤:力学的な伝達と非力学的な伝達の共存が,細胞が環境変化に迅速に適応するための基盤を成していることを示唆
概要: 我々は,細胞内のアクチンフィラメント(AFs)が相互作用する際に,高次構造を形成する過程(図1)とその構造が解体される過程の間には非対称性が生じること,またその発生メカニズムを明らかにしました.ここではパーコレーション理論に基づく解析(図2)とその結果を説明するシンプルな理論モデル(図3)を用いて,AFsがどのようにして複雑な構造を作り出すかを解明し,細胞が環境変化に柔軟に適応する新たなメカニズムを提案しました.
研究背景: 細胞は,外部環境の変化に応じて内部の構造を動的に再構成(リモデリング)する能力を持っています.この能力は,細胞が慢性的な炎症促進状態になることを防ぎ,生体機能を健康に維持するために不可欠です.細胞の内部構造のリモデリングは,AFsの分布や配列などを変えることにより生じます.このプロセスで,個々のAFsは確率的にランダムな動きを示すにも関わらず,最終的には相互作用をしながら環境に適応しストレスファイバーやアクチンメッシュワークといった特定の秩序構造を形成します.しかし,なぜミクロなランダム運動からマクロな秩序構造の形成が実現するのか,その物理的な必然性については理解されていませんでした.
今回の研究では,パーコレーション理論を用いて,細胞内のAFsがどのようにして複雑な細胞骨格構造を形成するかを解明しました.パーコレーション理論は,個々のミクロな要素がランダムに繋がり,結果としてマクロな構造や性質を形成するメカニズムを幾何学的に説明する物理学のモデルです.この理論は,材料の性質を説明する統計力学の相転移に関する研究でよく使用されますが,他にも森林火災の広がり方,迷路の設計,感染症の拡散,マーケティング戦略,犯罪組織の情報網など,さまざまな現象に応用されています.本研究では特に,物理的な構造物の繋がりに注目し,パーコレーションモデルから細胞内のランダムな要素とそのマクロな影響を解析しました.さらに構造物の形成と崩壊について,化学的・物理的な伝達の要因によりそれぞれ対称・非対称性が生じることを理論的に示しました.これにより,細胞がどのようにして環境の変化に迅速に適応するかについて,新たな洞察を提案しました.
研究の内容: 本研究では,モンテカルロシミュレーションを用いて,細胞の張力保持の基本特性である張力ホメオスタシス下でのストレスファイバー(AFsから形成される細胞内のマクロな構造物)の相互作用確率を算出しました.その結果,ストレスファイバーの形成は既存のアクチンメッシュワークの量に依存する一方,解体はアクチンメッシュワークの有無に関係なく発生するという非対称性が出現することが明らかになりました.これにより,力を支える要素とそうでない要素の共存により,細胞が突発的な環境変化に迅速に適応することを可能にすることが示されました.
本研究成果の意義: 本研究は,細胞が環境変化に迅速に適応する能力を理解するための新たな視点を提供します.特に,力に依存して形成される構造とそれ以外の構造の共存・相互作用が,細胞の環境適応メカニズムの基礎を成すと考えられます.この発見は,細胞生物学,バイオエンジニアリング,生体模倣学(バイオミメティクス)といった様々な分野における新たな研究の方向性を示すだけでなく,将来的には再生医療やがん研究などの応用にも寄与することが期待されます.例えば,細胞の環境適応メカニズムを解明することで,傷ついた組織の修復や再生を促進する新しい治療法の開発が期待されます.また,がん細胞の力学的な特性を理解することで,がんの進行や転移を抑制する新しいアプローチの開発にも繋がる可能性があります.さらに,細胞の構造形成メカニズムを応用することで,人工臓器やバイオマテリアルの設計・開発が進むと期待されます.本研究が新たな洞察を提供し,幅広い研究分野の発展に繋がることを期待します.
図の説明:
図1:細胞構造のパーコレーション特性とそのモデル化.細胞内ではAFsによりメッシュワークやストレスファイバーを形成.AFsによる焦点接着斑間の結合をパーコレーション理論を用いて解析するモデル.
図2:モンテカルロシミレーションを用いたパーコレーションモデルの時系列解析.個々のAFsのミクロな性質が細胞全体でのネットワーク構築というマクロな性質に及ぼす影響を解析.
図3:シンプルな理論モデルに基づく構造物の形成と解体における対称・非対称性の説明.化学的な濃度勾配のような空間的伝達では対称(青色の矢印)であるのに対し,SFsのような物理的な構造物を介した伝達では非対称性(オレンジ色)が発生.この非対称性はパーコレーション解析で得られる挙動(Fig. 2d, e)と類似している.
特記事項: 本研究は,日本学術振興会(JSPS)科学研究費助成事業(21H03796)の支援を受けて実施されました.