主な研究課題

1) 個々の細胞レベルでの「環境への適応」のメカニズム

ふつう、生命の「適応」の研究と言うと、(キリンの首はなぜ長い、など)進化の過程で獲得した遺伝形質に関するものが多いと思います。一方、私たちが研究している「適応」とは、遺伝子の変化を伴わない(さらには遺伝子発現の変化さえ伴わない)、生体恒常性(= ホメオスタシス)のメカニズムに関するものです。暑いときは汗をかいて体温を調節する、血糖値を一定に保つ、などがホメオスタシスの例としてよく挙げられます。これは周囲環境の変化等に起因する生体内の(体温なり血糖値なりの制御対象の)変化を逐一感じ取り、それに生体が応答してその変化を緩和する機能です。これは環境の変化に「適応」するための機能とも解釈できます。

一般にホメオスタシスは、ヒトを含む一個体が生き続けるための根源を成すものですが、その中で私たちが研究対象としているのは「個々の細胞レベルでの張力ホメオスタシス」の物理的かつ分子的メカニズムです。他のホメオスタシスがそうであるように、この張力ホメオスタシスが正常に機能しない場合は病気(ここでは、炎症促進シグナルの持続的活性化を指す)を誘発します(Kaunas and Deguchi, 2011)。

より具体的には、張力ホメオスタシスとは、個々の細胞接着部位に生じる「引張応力」を一定に保つ機能のことです。このメカニズムを考えるにあたり、キーワードとして自由エネルギー、ターンオーバー、正負のフィードバック(図12)、安定・不安定解析などが挙げられ、すなわち生命の問題でありながら物理やシステム制御工学の視点が不可欠です。従って、上記の(言わば従来的な)遺伝形質に基づく「適応」に関する研究課題とはおそらく大きく異なり、細胞の張力ホメオスタシスは物理的視点を備えた研究者でなければ現象の認識すらしづらい、しかしながら生命の維持にとって本質的な問題であると思われます。ただし一方で、得られた知見を分子生命科学に還元して将来の医学・医療への発展につなげるためには、物理的な記述により抽象的に説明するだけでは不十分であり、具体的な分子に基づいて説明することが求められます。そこで、「物理的本質の理解」と「責任分子の同定」の二兎の追究(前者の追究だけでは後述のメカノミクス研究欄に記載の通り、分子生命分野の研究者から認められない;また、後者だけでは現象の核心に迫ることはない)が重要と考えて独自の研究を進めています。

図1 物理的な力に依存したMAPキナーゼ(炎症促進シグナル)活性化のネガティブフィードバックモデル(Kaunas and Deguchi, 2011)
図2 物理的な力に依存したポジティブフィードバック(上)、および力に依存しないネガティブフィードバック(下)のモデル(Deguchi et al., 2011)

関連論文

Kaunas, R., Deguchi, S., Multiple roles for myosin II in tensional homeostasis under mechanical loading, Cellular and Molecular Bioengineering 4, 182-191, 2011.
Deguchi, S., Matsui, T.S., Iio, K., The position and size of individual focal adhesions are determined by intracellular stress-dependent positive regulation. Cytoskeleton 68, 639-651, 2011.

2) 細胞内構成要素の力学特性の計測と力学的寄与の理論解析

上記の細胞の適応過程では、細胞内構成要素【特に、力を支える1) 細胞接着、および2) ストレスファイバー(stress fiber)など非筋II型ミオシンから成る収縮性アクチンバンドル】の構造リモデリング(再構築)が起こります。1)の細胞接着(そのうち細胞・基質間の巨大な接着構造は焦点接着斑(focal adhesions)と呼ばれる)は、<接着><内在性張力支持><シグナル伝達>という異なる機能を同時に成し遂げながら、ひいては細胞外基質の硬さの感知に重要な役割を果たします。また、2)のストレスファイバーは等尺性収縮(細胞内で全長を一定に保ったまま、収縮力を発生し続ける)を行って細胞内で張力ホメオスタシスを作り、焦点接着斑由来のシグナルの活性化レベルを一定に保つ役割があると考えられます(Kaunas and Deguchi, 2011)。従来、1分子(1タンパク質など)の生物物理学は盛んに研究されていますが、一方、それらが集合を成した結果(すなわち細胞接着やストレスファイバーなどの巨大な構造をとった結果)初めて現れる高次機能を対象とした研究はほとんど行われていません。私たちはこれらの巨大タンパク質複合体の高次機能に関心をもち、細胞接着やストレスファイバーの力学的構造・力学特性の計測、およびそれらの独自の実験結果を基にした理論解析を行っています。図3はストレスファイバーをその構造を維持したまま細胞から抽出し、マイクロガラスニードルを用いて細胞外基質から剥離して発生力や収縮力の測定を行う実験(およびそのためのフィードバック制御機構を備えた実験装置)を示しています。図4は、細胞に負荷されるひずみ速度に依存してストレスファイバーが如何にして構造リモデリングを行うかを説明する分子力学モデルを示しています。これらの実験と理論解析を通して、1分子←→複合タンパク質←→細胞、という異なるスケールの現象を結びつける力学と生化学の融合モデルを導きだし、張力ホメオスタシスなど個々の細胞レベルではたらく生命のしくみを理解したいと考えています。

図3 細胞構成要素の力学特性の計測(Deguchi et al., 2005a, 2005b, 2006, and 2007; Matsui et al., 2009)
図4 細胞構成要素の力学的寄与の理論解析(Matsui et al., 2011 and 2013; Kaunas et al., 2011)

関連論文

Matsui, T.S., Sato, M., Deguchi, S., High extensibility of stress fibers revealed by in vitro micromanipulation with fluorescence imaging. Biochemical and Biophysical Research Communications 434, 444-448, 2013.
Matsui, T.S., Kaunas, R., Kanzaki, M., Sato, M., Deguchi, S., Non-muscle myosin II induces disassembly of actin stress fibres independently of myosin light chain dephosphorylation. Interface Focus, 1, 754-766, 2011.
Kaunas, R., Hsu, H., Deguchi, S., Sarcomeric model of stretch-induced stress fiber reorganization, Cell Health and Cytoskeleton 3, 13-22, 2011.
Matsui, T.S., Deguchi, S., Sakamoto, N., Ohashi, T., Sato, M., A versatile micro-mechanical tester for actin stress fibers isolated from cells. Biorheology, 46, 401-415, 2009.
Deguchi, S., Y Ishimaru, K Hashimoto, S Washio, K Tsujioka, Measurement and finite element modeling of the force balance in the vertical section of adhering vascular endothelial cells. Journal of the Mechanical Behavior of Biomedical Materials, 2, 173-185, 2009.
Deguchi, D., M. Yano, K. Hashimoto, H. Fukamachi, S. Washio, K. Tsujioka, Assessment of the mechanical properties of the nucleus inside a spherical endothelial cell based on micro-tensile testing. Journal of Mechanics of Materials and Structures 2(6), 1087-1102, 2007.
Deguchi, D., T. Ohashi, M. Sato, Tensile properties of single stress fibers isolated from cultured vascular smooth muscle cells. Journal of Biomechanics 39, 2603-2610, 2006.
Deguchi, D., T. Ohashi, M. Sato, Evaluation of tension in actin bundle of endothelial cells based on preexisting strain and tensile properties measurements. Mol Cell Biomech 2(3), 125-134, 2005a.Deguchi, D., T. Ohashi, M. Sato, Newly designed tensile test system for in vitro measurement of mechanical properties of cytoskeletal filaments. JSME International Journal Series C 48(4), 396-402, 2005b. (機械学会論文賞)

3) 細胞生物学研究で使える工学技術の開発(細胞が発生する力の計測etc

私たちのような工学系の研究者が細胞を扱うのは今や珍しいことではありません。しかし工学系発で、細胞生物学研究分野で有効であると広く認められるまで生き残った技術は必ずしも多くないと思います。力の役割を分子レベルで調べるメカノバイオロジー研究分野で本当に有効活用されている、力学色の濃い技術と言えば、Atomic force microscopy(原子間力顕微鏡)、磁気ピンセット、またtraction force microscopyTFM、牽引力顕微鏡などと呼ばれる)が挙げられます。その中で、私たちは細胞が発生する力を測るTFMに注目し、一般的な細胞生物学者にとって使用しやすいようにスループットを向上させるなど、根本的な改良を加えることを目的とした技術開発研究を進めています。学際領域研究(細胞生物と物理という二つの異なる分野の境界領域)の発展には、このような誰にでも使える(=研究の裾野を拡げうる)技術の開発が重要であるとの考えに基づいています。

上記の考え方のもと、細胞が発生する力を定量評価できるアッセイ(図5, 6)、引っ張り力を与えながら細胞の動態を観察する装置(図7)、細胞の形態を人為的に調節するマイクロパターニング技術(図8)などを独自開発しています。これらの技術に関心がある方、使ってみたい方は是非お問い合わせください。

図5 細胞内でJRAB分子が生み出す力の検出(Sakane et al., 2016)
図6 集団運動を行う細胞内の収縮力変化の可視化(Yokoyama et al., 2017)
図7 伸展(引っ張り)刺激を受ける同一細胞のその場観察(Deguchi et al., 2015)
図8 細胞マイクロパターニング技術(Yokoyama et al., 2014 and 2017; Deguchi et al., 2014)

関連論文

Ichikawa, T., Kita, M., Matsui, T.S., Ichikawa-Nagasato, A., Araki, T., Chiang, S.H., Sezaki, T., Kimura, Y., Ueda, K., Deguchi, S., Saltiel, A.R., Kioka, N., Vinexin family (SORBS) proteins play different roles in stiffness-sensing and contractile force generation. Journal of Cell Science, 130, 3517-3531, 2017.
Fukuda, S.P., Matsui, T.S., Ichikawa, T., Furukawa, T., Kioka, N., Fukushima, S., Deguchi, S., Cellular force assay detects altered contractility caused by a nephritis-associated mutation in nonmuscle myosin IIA. Development, Growth & Differentiation, 59(5), 423-433, 2017.
Yokoyama, S., Matsui, T.S., Deguchi, S., Microcontact Peeling: A Cell Micropatterning Technique for Circumventing Direct Adsorption of Proteins to Hydrophobic PDMS. Current Protocols in Cell Biology, 75, 10.21.1-10.21.8, 2017.
Yokoyama, S., Matsui, T.S., Deguchi, S., New wrinkling substrate assay reveals traction force fields of leader and follower cells undergoing collective migration. Biochemical and Biophysical Research Communications, 482, 975-979, 2017.
Sakane, Y., Yoshizawa, S., Nishimura, M., Tsuchiya, Y., Matsushita, N., Miyake, K., Horikawa, K., Imoto, I., Mizuguchi, C., Saito, H., Ueno, T., Matsushita, S., Haga, H., Deguchi, S., Mizuguchi, K., Yokota, H., Sasaki, T.,  Conformational plasticity of JRAB/MICAL-L2 provides “law and order” in collective cell migration. Molecular Biology of the Cell 27(20), 3095-3108, 2016.
Deguchi, S., Kudo, S., Matsui, T.S., Huang, W., Sato, M., Piezoelectric actuator-based cell microstretch device with real-time imaging capability. AIP Advances, 5(6), 067110, 2015.
Yokoyama, S., Matsui, T.S., Deguchi, S., Microcontact peeling as a new method for cell micropatterning. PLOS ONE 9(7), e102735, 2014.
Deguchi, S., Nagasawa, Y., Saito, A.C., Matsui, T.S., Yokoyama, S., Sato, M., Development of motorized plasma lithography for cell patterning. Biotechnology Letters, 36(3), 507–513, 2014.

4) メカノミクス研究の開拓と創薬

生命現象における「力」の役割を調べる以上、現象に対する物理的な考察が必須となります。物理学は物事を一般化して普遍性を追求します。一方、分子細胞生物学では登場する分子の相互作用を具体的に特定することにより、個々の出来事がどこまで普遍的であるかを言おうとします。私たちの研究室では、物理的な普遍性(分子を超えた一般化)の追究に加えて、分子細胞生物学的な普遍性(分子の特定)を重視します。なぜなら生物の問題に対して仮に物理的説明を与えても、分子が具体的に述べられていなければ、仮説の域に留まってしまうためです。また対象とする現象に関連した疾患の原因や治療の方法を考えるうえで、個々の分子相互作用を特定する分子細胞生物学的理解は欠くことのできない基礎的な事柄であるからです。

ただし従来のメカノバイオロジー分野の実験技術の多くは少数の分子しか対象にできず、また必ずしも定量的な解析ができないために、現象の統一的説明や他ケースの予測につなげる ことができません。そこで私たちは、関与する分子を特定しつつ、その背後にある物理的現象を説明することにより、どの分野の専門家にも通じる本質的な問題解明を導くことを目指します。これを実現するために、メカノバイオロジー研究の発展を加速するオミックス(Omics)アプローチの開発に取り組んでいます。具体的には、上記「細胞生物学研究で使える工学技術の開発」欄で述べた技術をハード・ソフトウェア両面でハイスループット化したシステムを構築しています。これにより、力が関わる分子経路や化合物(薬剤)の総体(メカノーム・Mechanome)を調べ、メカノミクス(Mechanomics)という新たな領域を開拓し、医・生物学の分野で標準化させることが目標です。

5) 裏声発生・動物発声の力学メカニズム

これまで私たちはヒトの発声過程を模擬した数値シミュレーションを行ってきました(Deguchi et al., 2007, 2011a)。この数値モデルでは、声帯の解剖学的知見に基づいた3次元声帯組織の各層構造(輪状甲状筋や声帯靱帯など)の力学特性(筋肉の収縮特性を含む)、肺からの呼気流と声帯構造との流体・構造連成振動、また気道(気管・声道)での音の共鳴など、発声に関わる様々な要素を取り込んでいます。このシミュレーションを利用して、声帯結節などの疾患が発声に及ぼす影響を調べてきました。

これらの数値解析に加えて、我々は特に裏声の発生メカニズムに関心をもって解析的(理論的)研究を進めてきました。ここで裏声とは、左右一対の声帯が互いに衝突することなく、かつ顕著な粘膜波動状の声帯組織運動が生じることなく声帯振動が持続する発声様式として定義しています。裏声に関心をもつ理由は、その発生メカニズムについてこれまで成されてきた説明が不適切であると考えているためです(Deguchi, 2011)。たとえ上記の様々な要素を網羅した裏声シミュレーションを行ったとしても、そもそもなぜ声の音源である声帯が自励振動を起こすのかは、裏声に限り説明が難しいのです(一方、左右の声帯が衝突を伴って振動を持続する地声の力学メカニズムは容易に説明できる)。私たちは流体の基本方程式から出発して、(裏声のように高い振動数、すなわち)高速で振動する喉頭内の流れを解析的に記述できる流体モデルを導出し(Deguchi and Hyakutake, 2009)、それに基づいて裏声発生が起こる新しいメカニズムを提示しました(Deguchi, 2011)。

現在は同メカニズムが、ヒトの裏声発生に限らず広く他の動物の発声(vocalization)にも当てはまるのではないかと考えて、その普遍性を調べるための理論的研究を続けています。

図9 発声の数値シミュレーションと計測
図10 動物発声の背後にある力学的機序に関する普遍的説明の試み

関連論文

Deguchi, S., A possible common physical principle that underlies animal vocalization: theoretical considerations with an unsteady airflow-structure interaction model. Journal of Biomechanical Science and Engineering, 11(4), 16-00414, 2016.
Deguchi, S., Y Kawahara, S Takahashi, Cooperative regulation of vocal fold morphology and stress by the cricothyroid and thyroarytenoid muscles, Journal of Voice, 25, e255-e263, 2011.
Deguchi, S., Mechanism of and threshold biomechanical conditions for falsetto voice onset, PLoS ONE 6, e17503, 2011.
Deguchi, S., Kawahara, Y., Simulation of human phonation with vocal nodules. Am. J. Comp. Math., 1, 189-201, 2011.
Deguchi, S., Hyakutake, T., Theoretical consideration of the flow behavior in oscillating vocal fold, Journal of Biomechanics, 42, 824-829, 2009.
Deguchi, S., Kawashima, K., Computer-aided technique for automatic determination of the relationship between transglotatl pressure change and voice fundamental frequency. Annals of Otology, Rhinology & Laryngology, 117, 8766-880, 2008.
Deguchi, S., Y Ishimaru, S Washio, Preliminary evaluation of stroboscopy system using multiple light sources for observation of pathological vocal fold oscillatory pattern, Annals of Otology, Rhinology & Laryngology, Vol 116, 9, 687-694, 2007.
Deguchi, S., Y. Matsuzaki, T. Ikeda, Numerical analysis of effects of transglottal pressure change on fundamental frequency of phonation. Annals of Otology, Rhinology & Laryngology, Vol 116, No 2, 128-134, 2007.
Deguchi, S., Y. Miyake, Y. Tamura, S. Washio, Wavelike motion of a mechanical vocal foldmodel at the onset of self-excited oscillation. Journal of Biomechanical Science and Engineering, Vol 1, No 1, 246-255, 2006.